凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

嫉妬や恨み、不平不満は、すでに『逃げ』

  • 年末に赤めだかを見た。非常に入り込んでいた。
  • 小説で読んでいたが、今の自分の状況と築地で働くことになってしまった立川談春の境遇が重なり、琴線に触れたのだろう。
  • ドラマの中で談志は言う
「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」 「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来ならば相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。 芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。」

エッセイ「赤めだか」より

  • 最近、自分を今の境遇に追いやった上司を恨んでいた
  • 罵られ怒り散らされることを理不尽だと思っていた
  • 上司のせいでこうなった、自分は被害者だ
  • 上司の言うとおりにして今の状況を招いたのに、なぜ俺が責められなきゃならない
  • 動いてくれない部下が使えない
  • 自分はちゃんとやっているのに何でこんなに理不尽なことばかりが起こるんだ
  • そうして頭の中で上司を何度も殺し、自分を正当化する
    • 「死ね」「○○死ね」「クソ」「○○も死ね」
  • そんで、そういう風に頭の中で理不尽さを爆発させること、上司を血祭にあげることを正しいことだと思っていた
  • そう思う論拠には、自分の中の1つの命題がある
感情が浮かんでくることはしょうがない。そのあとに逃げないことが重要だ。
  • 「死ね」「俺は悪くない」「クソが」と思うことを自分は“感情”だと思っていた。
  • だから、そうやって頭の中で罵ることを“これは感情だからしょうがない、止められないものなのだから”と正当化していた
  • けれど、間違っていたのかもしれない。もしかしたら、
恐怖やビックリ、悲しさのようなシンプルな「感情」と違って、不平不満や嫉妬は「考え」の範疇に入っているのではないか?

 

そして、嫉妬・自己正当化は自分の「嫌だ」「不快だ」という感情と向き合うことから、逃げるための方法なのではないか?
  • そう考えると、そうやって頭の中で「相手を責め」、「暴言を吐き」、「自己正当化」することは止めた方が良い
  • 「どうしようもないもの」という皮を着せて、必死で自分を守るために“能動的に”石を投げていた
  • これは、「どうしようもないもの」ではなく、自分が自分を守るために選んでやっていることだ
  • 本当はコントロール可能なものであったのに、これまでコントロールしようと思っていなかった
  • 自分の責任だ…情けない…
  • むしろ、そういう複雑でドロドロしたものの中から、シンプルな物だけは拾い上げて認め(「ああ、自分は嫌だったんだな」)
  • それ以上、嫉妬や心の中の暴言という逃げに徹しそうになったら一歩立ち止まる
  • 一度そういう逃げ道に入っても戻ってくる
  • そうして、おそらくそういう感情を誘い込んだ、その時の状況でやるべきことをやりつづける
  • その嫌さ自体に向き合う
  • 完成させる
  • その過程で感情に向き合う
  • 不快な感情もしっかりと感じる

 

そんな風にできれば、これからの自分の時代も少し変わるかもしれない。そう思った。