凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

僕にとっての旅は、日常の中にあった

なぜ冒険家は一時的なものだけに身体を張り、永遠に対して挑まない、賭けないのだろう。ぼくの「危険に賭ける」というのは、日常の、まったく瞬間瞬間の生き方なんだ。

日々の生活に命を燃やすにはどうすればよいだろう?

岡本太郎の自分の中に毒を持てを読んでから、それは、自分には1つの大きなテーマになっている。繰り返しの毎日にどうやって“旅”や“危険”を同居させれば良いのか、ずっと分からなかった。

旅をする意味とはなんだろう?

自分の知らない場所へ移動し、生きていくために必要なことをする。新しい場所、新しい人のいる環境では、行うことの多くが「初体験」であり、日常生活で慣れて分かりきっている習慣とは異なっている。こういった、それまでにやらなかったことを実行し、新しい刺激に触れ、「自分が変わっていける」と感じることが旅の醍醐味だと思う。

最近、ひとつの気づきとなったのは「自分の最も大切なこと」に手を触れ続けることではないか?ということ。

自分が一番やりたいこと、「時間があったらこれがしたい」「こういう立場になったらあれをやってみたい」とこれまでは言い訳ばかりしていたことを叶えていくことだ。

僕たちは慣れ親しんだ世界に安住してしまう。変化を恐れ、固定化された自分を保ち、世界を変えない。「どうなるかわからないこと」が怖いのだ。別に特定の失敗を恐れているわけじゃない、失敗することによって自分の才能の無さが突きつけられてしまうのではないか?自分が何かよくわからないけれど、危うい状態、立場になってしまうんじゃないか?という、不確実さ、曖昧な未来、どうなるか分からなさに怖じ気づいてしまうのだ。そうして、自分の歩みたい道から目を背け、今いる場所をぐるぐるまわり、「今はまだ出発するにはベストな時ではないんだ」と言い訳を語り続ける。誰かに弁解しているんじゃない、「しょうがないんだ」と自分に言い聞かせているんだ。

そんな風に、誰にでも実現したい未来はあって、それは重要であるからこそ、足が踏み入れられないまま、フロンティアとして残されている。まるで夜の間に降った手付かずのままの雪の平原のようだ。自分のライフワークに取り組んだなら、誰もが結果として開拓者となる。

必要なことは、自分の夢に飛び込む一歩だ。ただ、飛び込めばいい。愛される覚悟をすればいい。絶望や落胆が裏面に刻まれているコインを手にとってみるだけで、僕らは旅にでることができる。場所は変わらないけれど、いつもの世界が姿を変える。もう昨日までとは歩く意味が変わってしまう。旅人は祖国に戻れば旅を終えるだろう。けれど、自分のライフワークに取り組み始めたとき、僕らの生活はこれから永遠に旅路になる。不確実で、経験のしたことのない、幾千の経験をもたらしてくれるだろう。

僕らの心臓は強く鼓動を打つ。それは価値観のコアに近づいている証拠でもあるんだ。いつもと同じ部屋の中で、僕の命は音を立てて燃え始める。