凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

科学宗教信者には、論理に基づく行動は非科学的に映る

ネットは、科学的という題目の下、振り下ろされる感情の斧に満ちている。

スタジオジブリ鈴木敏夫の情熱大陸を見てとても興味深いシーンがあったので書き留めておきます。
鈴木敏夫(映画プロデューサー): 情熱大陸 鈴木敏夫(映画プロデューサー): 情熱大陸

全体的にとても楽しく見れたのですが、中でも、川上量生が鈴木敏夫について語っている内容が、とても面白かった。

鈴木さんてね、合理的な人なんですよね。 あんまり感情じゃなくて、理屈で判断するんですけど。 で、世の中の人は、理屈でやっているように見えて、実は理屈でやってないんですよ。 正しいといわれる、何か宗教的な教義があって、その教義に従ってやってるんですよ。いわゆるヒットの法則、有名人出したら人気が出るとかね。 鈴木さんは一々それを考えてますね。本当にそうかを。 理屈という名の宗教を信じてないから、理屈でやってないように見える。

あぁ、この辺りはネット界隈で良く目にする光景を言い表しているなと思いました。「理論的におかしい」とか「科学的ではない」、「こんなことも分からないのか?」といった、空気に流され発生する暴言に満ちています。

もちろん僕もそうなのですが、科学というものに基づく発言や行動というものではないんですよね。僕は科学的な人でありたいし、理論的な人でありたい。そこでやっていることと言えば、自分がむずむずきた対象に対して「それは科学的じゃない」と攻撃をする。

でも、科学って他人にネットで悪口を言うことで実現されるものだっけ?

領域によって差異はあるでしょうが、そこにある現象を鵜呑みにするのではなく、調べ、時には実験し、たとえ予測や自分の好みと違っても、出てきたデータに基づいて、考察し、応用科学ではそれを日常に生かしていく。そういうものだと思うんです。

要は、僕らが望んでいるのは、“ロックスターになりたい”とか、“アーティストになりたい”とか、特に世間に対して訴えたい意見もないし、表現したいものもないのに、“そう見られる”ことを望んでいるだけのようなものなんでしょう。“自分は理屈でしか考えられないから”とかそういうのは。

科学者ではなく宗教の教徒であるなら、「私は科学教の熱心な信者です」と名乗った方が潔いのかもしれませんね。


ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)