凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

情報処理能力からみる断捨離の適正

一昨年から、職場の女性同僚に教えてもらって実践している。僕は、断捨離をおこなうことで、生活がシンプルになってとても過ごしやすくなりました。今回は、断捨離にも適正があるのではないかという仮説をエントリーにしました。

新・片づけ術 断捨離 (マガジンハウス文庫)  見てわかる、「断捨離」 (マガジンハウスムック)

おそろらく断捨離を必要としない人もいます。

断捨離が、効いている部分

それは、無駄な物や情報を身の回りから少なくして、自分の注意力や記憶力、思考力を必要なものにのみ集中することであるといえます。

パソコンで言えば不要なファイルを削除したり、デフラグを行っているようなものだといえる。 断片的になっているファイルを不必要なものは捨て、必要なものは再統合して分かりやすい配置に整理しなおしていきます。

情報過多を物ともしない人種

ただし、断捨離の効果を実感できるのは言わば僕のような凡人です。世の中には、情報過多など物ともしない人種が存在します。例えば、研究者やコレクターなどです。例えば、所ジョージなど相当なものに囲まれているにもかかわらず、軽やかに生活しています。彼が、断捨離を行ったところで生活が味気なくなってしまうだけです。

情報処理能力

断捨離を必要とする人と必要としない人の差、それは情報処理能力に他なりません。ありていに言えば、勉強の能力のように、眼も前にあるものを知覚し処理しアウトプットする能力です。学業にたとえて言うならば、単に学校の成績が良かった人というよりは、勉強しなくても成績上位をキープできるような“本当の”エリートです。 我々が家庭用ノートパソコン並みの処理能力しかもたないとすれば、スーパーコンピュータ並みのスペックを生まれながらに持っている人間が歴然と存在するのです。恐らく彼らに、自分の情報処理資源を節約する必要などないのです。ひたすら莫大な情報の波を飲み込んでいっても、それを租借し、消化してしまうほど、脅威的な吸収力を持っています。

少なくとも、やましたひでこは、彼女以上のスペックを持つ人間に断捨離がどう扱われるかを実感を持って知ることはできない。

凡人である自分が歩く断捨離道

凡人である私は、そんなにパラレルに平行作業を行うことはできません。GTDですら、処理能力では継続すら難しかったです。断捨離とは、XPパソコンを何とか軽く使うためのテクニックのようなものです。生活をシンプルにシンプルに洗練していって、本当に必要なものだけを残していく。それによって、自分の集中力や記憶能力をフルに生かしていくというものです。

私のような凡人は、そうやってハイスペックな人間に喰らいついていきたいと思うのです。まあ、返り討ちになる確率の方が高いのでしょうが・・・。