凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

「私が間違ってた。ごめんなさい」と言って貰いたがる人について

まあ、僕なんですけど。

「君は正しかったんだよ」と言って貰いたがっている人について - シロクマの屑籠 「君は正しかったんだよ」と言って貰いたがっている人について - シロクマの屑籠

ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

シロクマ先生のエントリを読んで、その時には「あ~あるある」と思っただけだったけれど、自分の中に少し引っかかり続けていたみたい。

「お前は正しい。そんなにお前だけが頑張らなくていいんだよ。」って赦しをくれる人が身近にいたら、自分はけっこう飲みに誘っちゃうかもって思う。こんなにインスタントな救いの言葉って中々ない。こう言われるだけで、ウサが晴れたり、ちょっといい気分になれる。この「お前は正しい」と似た、もう少し違った救いを求めてるな、と最近の生活の中でふと思った。

色々な状況で当てはまると思うんだけれど、それは、争いが起こった時。特に彼女とのケンカだとか家族とのケンカ。僕が相手に言ってもらいたかったのは「ごめん。私が間違ってた。」ってことなのだと思った。こういうドメスティックな状況の中で、ずーっと、ずーっと、相手が自身の間違いを自覚し、悔い改めることを求めていた。

シロクマ先生のエントリにあったように、価値観が多様化した現代で、自分の存在意義、これが自分だ、人生だという実感を得られることなんて、ほとんど無い。

そんな中で、片方に承認欲求が乗ってる天秤のもう一方は、目に見える範囲の中で自分以外が否定されるという差別的で魔女狩り的な欲求が乗っかっているのかもしれない。。

愚痴ばかりの飲み会やお手軽な風俗店のような、グロテスクでもあり刺激的で しょうもない救いに頼り続けなければ我々は生きていけないのか?全員は強くなれないよな、とか。色々頭を駆け巡って、今日の所はこちらが謝ろうとパソコンの光を見ながら、なんとなくな覚悟を決めてみた。