凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

「しあわせ」になることは希望の道をあゆむこと

「しあわせに暮らせないかな・・・」昨年末、ヒザの手術で入院して病棟の窓から外の世界を眺めながらぼんやりと考えてました。

きっと何処かで行き詰った感覚に気づいていたんだろうし、日常からぽつんと切り離されたのは、とても良い機会になりました。

病棟の窓から見えたもの

やることのない、それでも過ぎていく時間、社会の流れから取り残されてしまった感じ、溜めていた本を少しずつ読んでいって、給茶機でお茶を汲んで飲みながらNHKを眺めてた。イヤホンでただ音楽を聴くという行為を久しぶりにした。それまでは、ながら聞きばかりだった。10代の頃のように音楽が心を弾ませてくれるという体験はどこか懐かしかった。それから一日10分に音楽の時間を決めて、それを楽しんでみた。苦しいはずのリハビリの時間なのに、その苦痛の中に先の歩ける生活があることや、適度な疲労が心地よかった。

それまでは、何かを求め、探してきた。それは、「これで大丈夫」という安心を、着地点、完成した生活、不安になることのない心が欲しくて欲しくてしょうがなかったんだと思う。

その結果、逃げだしてきたことはたくさんある。あきらめた選択肢もある。自分を落ち着かせようと、自分の本当に手に入れたいものから背を向けて遠ざかれば遠ざかるほど、うしろめたさが溜まってきた。人を欺いたり嘘もついたこともある。自分の考えていることが読まれてしまう、自分の不安が、焦りがバレてしまうことを恐怖した。どれだけ誤魔化しの道を進んでも、自分が歩みたかった道から外れたことを自分が気づいてしまっている。考えないようにしても、チクチクと日常に顔を出して、生活に影を吹き込んでくる。

それらはずうっと継続してある訳じゃない。他人から見れば、僕は楽しそうに悩みなんてないように移っているだろうし、実際に楽しい事だってある。けれど、ぬぐえないうしろめたさからは逃れられなかったんだろう。

希望の道をあゆむこと

かといって、達観したい訳じゃないんです。そんなの面白くもない。ブレークスルーするためには、何かを変えなければならないという切迫感がありました。

なんか、こういう引き受ける感覚が持てないかな?と思うわけです。幸せの語源が「仕合わせ」だという話もあって、そういう(言いも悪いもある)めぐりあわせを、引き受けてみたい。

「僕の心は、傷つくのを恐れています」ある晩、月のない空を眺めているとき、少年は錬金術師に言った。
『傷つくのを恐れることは実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を探求しているときは、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり永遠との出会いだからだ』・・・
「僕が真剣に自分の宝物を探しているとき、毎日が輝いている。それは、一瞬一瞬が宝物を見つけるという夢の一部だと知っているからだ。本気で宝物を探しているときには、僕はその途中でたくさんのものを発見した。それは、羊飼いには不可能だと思えることに挑戦する勇気がなかったらならば、決して発見することができなかったものだった。」
アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)
アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

仕合わせとは、自分の希望の道にたつことだと今は思う。自分の大切なものを、自分の足で踏みつけることほど、気持ちがドロドロと歪んでいくことはない。とにかく自分が本当に欲しいものに、恐れずに近づいてみること。しあわせになる覚悟をすることだ。たとえ、それが手に入らない可能性があるとしても、それが自分を不幸にする可能性があるとしても、望むもののために歩みを進めることだ。ごろごろとした岩のある道を、足を草で切りながら、はだしで歩いていくこと。転んで血を流してなお、速くあるけなくとも、十分な装備でなくとも、進んでいくことだ。その痛みさえ抱きしめられたなら、一度生まれてしまったうしろめたさすら連れて、想像もできなかったところまで歩いていける。