凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

生活を効率化する「断捨離」とはどういうものか

インターネット広告で、こんな写真をよく見かけませんか?


これは、やましたひでこが考案した断捨離という新しい片づけ方法の紹介です。パッとみ、「怪しい」とか「何それ美味しいの?」というよく分からないものですが、今回のエントリーでまとめます。



端的に言ってしまえば、断捨離というのは「捨てること・手放すこと に焦点をあてた片付け法」です。言葉にすれば、シンプルですが実践すると生活へ大きく影響を与える方法です。

断捨離の理念

では、まず理念について説明します。

  断捨離は、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする…生活術。…

  ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。
=入ってくる要らない物を断つ
=家にずっとある要らない物を捨てる
=物への執着から離れる
断捨離 - Wikipedia

要は、まず1.余計な物を買ったり貰ったりしないようにする(断)、そして2.不必要なものを手放しながら自分の持ち物を厳選する(捨)。1.と2.を繰り返すことによって、3.物へ執着する気持ちを少なくする(離)ことを目指すという考え方です。
僕が最初に実践したときには、「不必要なものをバンバン捨ててく」くらいの理解で、服を古着屋に売ったり、使っていない家具や本、文具をリサイクルショップに売る、処分するなどしていました。

理念を実現するための、ポイント

そんでもって、理念だけではそれを実践することは難しいので、実際に行動するための基準や方法も考えられています。

片付けのプロセスの3分類と、順番

  「片づけ」「整理・整頓」「掃除(掃く・拭く・磨く)」の3つに分けています。そして、取り掛かるべきは、①「片付け」:必要なモノの絞込み作業。…行動としては、とにかく捨てること。

  繰り返し行っていくうち、ようやくモノが適量に。適量の度合いは生活スタイルや職業にもよるので、一概に表現するのは難しいのですが、要するに「自分でコントロールできる」量。そう自分が感じられる量です。存在するモノの在処をすべて把握でき、使いこなせるかどうか。ここではじめて家が「物置」から「住まい」と呼べるように。収納術にとりかかるのは、この段階からです。

選択基準の主語を「モノ」から「自分」にする

断捨離が実用的なのは、捨て方の基準が考えられているところです。その基準は、「そのモノが使えるか使えないか」から「自分がそれを今使うかどうか」に変えていくことを推奨しています。『「使用可能」ではなく「私が使う」か否か』という基準で、モノを捨てていきます。

  主役はモノではなく私。私が使うかどうか。「もったいない→取っておく」というのはモノが主役の発想。そして整理・収納術が「いかにモノを保管するか」に主眼を置いているところ、断捨離は常に代謝していくことが前提。…保存・分類のために仕切りのついた収納グッズを新たに買ったり、まして作ったりすることもありません。むしろ最初に収納用品を捨ててしまってもいいくらい、モノは減ります。
  ついつい「もったいない」、「まだ使える」と思って、服やモノを溜め込んじゃいますが、完全に使えないものって意外と少ないものです。

  今の自分にとって必要ないと認めて手放すこと…。いくら高価であっても、レアであっても、自分に必要かどうかのものさしで測れる人でありたいもの。そういう執着の外し方ができたことで、自信がもてます。
  確かに最初は、覚悟と勇気が必要。それでも手放すことができたら、引き換えに「なんとかなるさ」という明るい未来と展望が持てるように。断遮離では、モノを使った「覚悟と勇気と行動力のある楽天家」になるためのトレーニングとも言えますね。

断捨離の副産物

断捨離をやましたひでこは「片付け術」というより「生活術」として位置づけています。それは、なぜかというと断捨離を進めて行くことで「行動」や「生活習慣」を変えていくことができるからです。

エネルギーが節約できる

  ガラクタをひとまとめに表現すると「後ろめたさの集積」、あるいは「不安の集積」なんですね。断遮離では、常に時間軸は「今」とお伝えしていますが、後ろめたさや不安は、過去や未来に軸がずれた状態とも言えます。…「使わなきゃ、使わなきゃ・・・」と思いつつもそれが実行できないまま時が過ぎる。
  今度は「ダメだな、ダメだな・・・」と自分を責めだす状態。でもまた「いつか使うかもしれない…」と言い訳のようにそのまま放置。これにすごいエネルギーを使う。なぜなら自分で自分を責めて、言い訳をして、の繰り返しですから。

この部分は非常におもしろかったです。僕らは良く「考えたくないとき」「ちょっと置いといてゆっくりしたいとき」に見ないフリをしますが、見ないフリをすることで問題が悶々と残っていって思い悩んでしまったり、逆に疲労してしまうということはあるんでしょうね。だって、モノがあることくらいは自分では分かっているんだし。物を捨てることで、開放された気持ちになるというのもおもしろい体験です。

モノを選ぶ力が磨かれる

  断遮離の副産物はいろいろありますが「選ぶ力」が磨かれるというのもその1つ。断遮離とは、選び抜いて選び抜いて選び抜いて…決断、の連続。…選ぶ力をトレーニングすることで、生活や仕事などあらゆる局面で「自分が何がしたいのか」という主体性を強化することにもなりますね。

自分の価値観を知ること

  モノに向かい合うことは、自分に向かい合うこと。ココロが行動を変えるのではなく、行動がココロに変化をもたらす。行動すればココロがついてくる。いわば断捨離は「動禅」。

このポイントが断捨離が広まり、多くの人に効果を実践させたポイントだと思います。物を捨てると、自分の生活が変化する。こういう風に自分のとったアクションと、その結果がとてもわかりやすいのです。成果が目に見えて自覚される。やましたひでこが片付けに目をつけたというところが、ラッキーだと思うんですよね(その効果が大きいところが、彼女をなんか変な教祖的な所まで、のし上げてると思うんですが)。

断捨離で(手放すことを中心に)片づけをしていると、だんだん自分の価値観が「わかってくる」。価値観を新たに構築したり、すごいハッピーに変わるわけじゃないです。「あー、俺こういうのが好きだったんだな」とか「こういうものは大切にしていきたい」ってコトに、どちらかというと後から気づく感じです。埋もれて分からなくなっていた自分の好みや考え方と、再会する感じです。

日常生活では、決断を回避することを自分もついついよくやってしまっています。「ま、いいじゃん」が口癖になって。断捨離は、そんな風に避けてしまいがちな決断を繰り返しする良い機会になる、リスクを負って物事を決めるということの練習になるのです。当然、迷ったり不快な気持ちになることもありますが、そういう不快感を進んで受け入れていくことが、自分というものをはっきりさせてくれるモノだとわかりました。

個人的に役立った考え方。

僕が断捨離をやっていくなかで、とても役立ったのは以下のような考え方です。

  あれば便利だし使うけれど、無ければ無いで困らない。それは自分にとって本当に必要なものとは言えません。…
  断遮離は基本的に“その都度主義”。必要になった時に用意すればいいんです。存在を忘れていた品はもちろん、漫然と残してあるだけのモノもいまのあなたにとっては不用品…
  便利だからと、他で代用できるモノをむやみに買わない。「出番も少なく、無くてもすむアイデアグッズは買わない。
見てわかる、「断捨離」 (マガジンハウスムック)

けっこう便利な文具とか、かゆいところに手が届くようなアプリを買いあさっていたんですよね。なんか、それを持っていないと自分が損しちゃったような気になってしまって。けれど、無いなら無いでその時に考えりゃいいや、ちょっとくらいメンドーでも他のものを使えばいいや、むしろ良く使うものを厳選して良いものを買おう、という転換は自分にとって大きかったですし、お財布にもやさしかったです。

バランスとまとめ

最後に僕の断捨離への取り組みは、あくまで「片づけ術」として考えています。そこでの行動変化や価値観の変化は、副産物であったり自分の行動のおかげという部分もありますし、全てを「断捨離さまさま」と考えたくはない気持ちがあります。
(これは彼女をとりまく人間にも大きな責任があると思うのですが)やましたひでこ氏の祀り上げられ方はハンパじゃないです。着想がヨガなのでしょうがないのですが、彼女のスピリチュアル的な主張や、「無意識がかわる」「気の流れ」などには賛同する気にはなりませんし、読んでいませんが最近は「うつ」なんかにも言及しだしてて、正直「そこは精神医学にまかせましょうよ」って思います。ある程度ドライに、「断捨離を盲信」するんじゃなくて、それこそ「僕が」断捨離を使うって形で実践しています。かなりオドロキのある片付け術なので、興味のある方はぜひ試してみてください。