凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

堤幸彦の『自分の思い入れと情熱を目の前の仕事へこめる』ということ

今週のアシタスイッチ(対談番組)のゲストは映画監督の堤幸彦と女優の宮崎香蓮でした。その中の仕事への姿勢についての話が非常に面白かったので、紹介します。

hicbc.com:アシタスイッチ
http://video.fc2.com/content/201207167W3heMnT

宮崎香蓮は、武井咲、剛力彩芽 、忽那汐里ら同世代の活躍に対する焦りや、高校進学で、上京するかを迷った経験、大学進学を選んだことが大人に影響されたのかもしれないという、自分への選択への疑念を語ります。そして、堤幸彦はコメントを残すのではなく、自分の体験を伝えていきます。

自分がないということ

まず、特に話題になったのが宮崎香蓮の「自分が無いのではないか?」という疑念でした。

宮崎 この仕事をやっていて思い始めたんですけど、すごく人に流されやすいなって。映画とか見ても見終わったら、その主人公になりきっていたりするくらい、影響されやすいっていうか。それって自分が無いってことなのかな?って思ったりするんです。ひとと、あの人とは違うようにやろうとか・・・
 あ、全然、そんなことを考えない。考えた段階でアカンですね。
映画が終わって電気がついて表に出て、主人公的になってるってのはみんなそうです。私もそうです。トムクルーズになったりします。現実的には違うんだなと思ったり。ちょっとトムクルーズになって車のドアの開け方とか、ちょっとカッコつけたりするんだけど。みんなそうです。特に私なんか映画を見るのも、芝居を見るのも、何見ても、面白いわけ。絶対自分にはこんな面白いものは撮れないと思っちゃうんです。

特に撮影してる最中に映画を見にいくと、もう影響されちゃって「あ、あのカット明日からやってみよう」とかって思うんですよ。それも、言ってしまえば僕にもおおもとは無いんです。・・・僕らの世代に共通して言える表現活動みたいなものを、もし、していたとするならば、今、何かを見ても「これは俺じゃないね」って言えるけれども、なんも無いッスよ。・・・未だにその感覚はなくならないし、もっと面白いもの見せて欲しい、見たい、出会いたいって思う。出会うともっと良いヒントがあるかもしれない。

貪欲に人の演技とか、人の監督している結果とかを見て、ほんとに勉強する。先輩の皆さん、僕なんか、神様としては、伊丹 十三監督、森田芳光監督。どれ見ても全部面白いんですよ。つまらない所なんて一秒も無いってばっかりです。同時に、全然僕なんかより20も30も下の監督の作品とか舞台とかを見せてもらって、「どうしたらこんな発想できるんだろうな」って、言い訳としては「俺はデジタルの世代じゃねえや」言い訳しながら「死ぬまではいつかそういうことやんきゃな」って逆に奮い立つ。何も無いことを自覚したほうが良い。その方がね。楽しくできる気がしますね。

渡辺謙の仕事について

物の作り方っていうい意味では、作品をつくる度に毎回初期化して、ゼロに戻って物を作るんですよ。どんな映画でも必ず前の経験はもちろん生きているんだろうけど。でも、新たにもう一回考えよう。ゼロからやろうって毎回思う。それを一番強く意識したのが「明日の記憶」っていう、渡辺謙さんとやっていた作品なんだけど。

まず、作り方をゼロから学んだ。どういうことかというと、普通9時から撮影スタートだと、謙さん来るの大体8時だろうと踏んでるんですね。7時50分くらいに行くと、いるの。いて何するかっていうと、セットの所で、ブツブツと台詞を仰っていたり、控え室で台本を読んでいたり。「何か御用ありますか?」っていうと、「いや、ちょっと今日のここの台詞ですけど・・・」「じゃあ2人で読み合わせやりましょうか」って一回読み合わせして気になる所を直して九時の本番。
で、悔しいから次の日七時半にいくと、いるんですよ。「今日は何か?」また、同じコトをするの。で、いっそ7時に行っちまえと思って行ったら、いるんだよ。だんだんだんだん早くなって、終いには、二人で誰もいないスタジオで立ち稽古みたいになっちゃって。
・・・
やっぱり、一語一語、一言一言へかける熱意みたいなもの、こそがね、映画の原動力で、どんな風にとるだかとか。こういう風にとってこういう風に取ると格好良いとかね。関係ないんですよ。
やっぱり、台詞をどう伝えるか、どう自分で中に入れてアウトするかっていうのを、そこに必死にならないと。で、そこにはあんまり、過去にこんな経験したとか。ま、多少はあるよ。こんなもの見て勉強したとか。多少はある。でも、その時の自分の思い入れと情熱しかないから。それを見させてもらった。

何を見ても面白いと思う。それは人として普通です。みんなそうです。きちっとした向き合い方みたいなことってのは、何を見たかとか何を聞いたかとか、あまり関係ない。あなたにしかできない表現ってあるんですよ、絶対。またもう一個言っちゃえばあなたの世代にしかできないことがあるんですよ。絶対にね、絶対誰にも重なれないんですよ。人間て。同じ人間にはなれないんですよ。
流されちゃうんじゃないかなとか、キャラクター的に負けちゃうんじゃないのかっていう気持ちも分かるんだけど、何を望まれているのかっていう、そっちを考えて。自分に、できるかできないかなんて関係ない。できないと本当に思うんだったら誰も選ばない。
・・・
いろんなことをやってみて失敗したって良いんですよ。別に。今、自分がどの位置で走ってるかなんてことは、あまり、気にしなくて良いんじゃないの。
なーんつって。

白血病と渡辺謙

ここからは、感想です。僕は、渡辺謙が一瞬一瞬へ命を燃やせるのは、彼が白血病を患った経験があるからではないかと思います。

舞台・テレビドラマなどで次々と大役を演じ、前途洋々に見えた1989年(平成元年)、映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板。再起はおろか生命も危ぶまれたが、約1年の闘病の後、治療を続けながらも俳優業に復帰。定期的に入院治療を続けながら、仕掛人・藤枝 梅安を中心に活動するが、大きな仕事はできなかった。経過は良好に見え、一応治療が終了した1993年(平成5年)、NHK大河ドラマ『炎立つ』に再び主演、完全復活をアピール。しかし、発病から5年経過した1994年(平成6年)に再発。再治療を行い、経過は良好となって、翌年無事復帰を果たす。・・・

病気再発を経て再復帰した時期と前後して、初の本格的娯楽時代劇シリーズドラマ『御家人斬九郎』、2時間ドラマでは『わが町』『鍵師』などが当たり役となりシリーズ化されたが、渡辺はあまりにも強烈な「政宗」のイメージと、俳優としての評価以前にまず病気のことを持ち出されることなどに悩んでいたという。30代の終わりを機にこれらの人気シリーズを全て終了させるとともに、従来彼のイメージにはなかった悪役・ダメ女役・格好悪い役柄などを積極的に演じるようになる。
渡辺謙 - Wikipedia

同時に、若いうちにこの“人生の有限感”を手に入れると、生き方が大きく変わる、というのもまたひとつの肯定的なイベントなんじゃないかと、ちきりんは思っています。

いつ死ぬか分からない、人生はいつまで続くか分からない。そういう意識が人を生き急がせ、くだらない世の中の常識に汲々と従う生き方に立ち向かう原動力となるのです。なんとなく過ぎていく日常は、あたかもいつまでも永久に続くかに思えます。でも実際には、“終わり”は突然(そして当然)やってきます。

あなたが今やっていることは、余命6ヶ月だと宣言されても、やっぱりこれをやろうと思えることか、とジョブズ氏は問いました。余命が6ヶ月であっても、今の生活を続けるか? と。
人生の有限感 - Chikirinの日記

そして、僕はこれまでに、そんな大病を患ったことも無ければ、死にそうになったこともない、ただの30手前の男です。特別な経験は無い。だから今の自分はしょうがない、人より抜きん出れなくてもあたりまえ、ふつうの何処にでもいる、ただの人であっても当然・・・と思う気持ちもあります。けれど、「(自分には)なんも無いッスよ」と言ってのけて尚走り続ける堤幸彦のことばは、「特別な経験がなくとも、仕事へ向き合うことはできる」「しがない、ありふれた、ただの、普通の人間であっても、目の前に命をもやすことはできる」「やってもいい、やれてもいい」ということを伝えているのだと思います。
一つの仕事、目の前にいる人、一つのプロジェクトに自分の情熱の全てをこめる。それは、自分は今ここで始められる。二度とこない、いつか終わる人生の中を皆、今、歩いている。


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