凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

不安と恋をしよう

音楽を聞いても聞いても落ち着かないとき、曲を変えるよりスイッチを切るといい。自分が恐がってたゾワゾワって感じがどんなものかはじめてわかるから。



最近、バスや電車を待つときにケータイを触らないようになってきた。ちょっと視線を上げて、周りの景色を見たり考えごとをしてみる。ケータイと少しの距離をもって、ふと気づいたのは、退屈でもないのに、退屈しのぎに駆り立てられていた自分がいたことです。とりあえずweb に自分を接続することで、得ていたものがあった半面、失ったこともあったのかもしれない。

それはそうだ。一方向にだけエネルギーが流れ続けることはない。物事には必ず利点と欠点の両面があると、頭でわかっているつもりでしたけど、体験としては知らなかった。ディスプレイから視線を外して世界を見て気づいた事が、いくつかあるので書いてみようとおもいます。

ディスプレイから視線を上げて

まず、思索ができるということ。例えばブラウジングやゲームをすることの魅力は本当にスゴイです。のめり込めるし、集中できる。他のことを考えられない程に。考えないようにしているって意識なしに、嫌な考えや煩わしことを脳ミソから追い出せます。

ディスプレイを見ずに景色なんかを眺めていると、特に考えようとしているわけでもないのにいろんなこと考えます。自分の思考がこんなに自由だったって事に後から気づかされます。思春期をこじらせて、二十歳をすぎるくらいまで色々と意味のないことをのらりくらり考えていました。大抵は長い長いチャリンコのうえの時間だったり、勉強せず机でボーッとしてたときでした、その時の感覚に似ています。駅のホームで仕事の出来事が浮かんでくる。いつもだった、「まぁ、後から考えよう」とネットニュースに目をむけていた。けれど、煩わしいことでも、ちょっと考えてみると意外と解決案が出てきたりして、今まで怖れる必要のないものを恐れていたのかも?と思ったりする。

車窓や目の前をただ見るだけでどこかにある本来自分がいるべき場所じゃなくて、ての届く景色が目に入ってくる。花が散ったり、建物がたったり、自分が猫背になっていたりに。最新のグルメスポットは見つけられなくても、歩いていける新しい喫茶店は発見できる。

デジタルを捨てることが大切ではない

ケータイ、ネット、デジタル機器、そのネガティブな側面の指摘される昨今だけれど、問題はそれを使ってしまうことでも、完全に捨てられないことでもない。不必要な鎖で繋がれてしまうことだ(七夕の国で言うところの窓の外のように)。


七夕の国 1 (小学館文庫)


「なんだか安心できる」という理由だけで止められなくなっていることはたくさんある。ブラウジングやメール、ケータイをいじること、貧乏ゆすり、テレビ見たり、音楽聴いたり、PCパーツの段ボール箱をとっておいたり・・・あ、あと大人DVD鑑賞もね。一度やってみて気分の良くなった事が、いつの間にかやらなければならないことに変わる。その裏には、恐らく不安や恐れがある。それから身を守ろうとする、まぁ、ある意味当然の目的意識があって、でもいつからから必要が無いときにもそれをしていて、そのせいで見えなくなっているものが存在している。

「何もない」をする勇気、暇をつぶさない勇気、安心しない勇気ってのもある。皆がスマホをシコシコこすってる横で、自分の頭だけで思索したり、景色を楽しんだり「できる」余裕があっていい。



やっちゃいがちなのは、何を恐れているかよくわかってない内から目を背けること。視線をあげて見つめてみたら意外と怖がる必要なんてなかったってことはよくある話。くるりの奇跡のように、気づかないようなすきまに咲いた花、それが目にはいるくらいまで顔が上がってるかってことが大切だと思う。

不安に恋をしよう

この歳になってはじめてディズニーランドに行ったけれど、タワーオブテラー(直滑降型アトラクション)に乗る前のような感じ。始まる前の逃げたい気持ちなんとか安心したいと思って右往左往するほうがつらいんだなと分かった。絶叫マシンも、始まってみるとドキドキしたり怖かったりするんだけど、そんなに辛くは無い。少なくとも、始まれば思い悩みはしないんだ。
不安を好きになれたら、いいんだろう。逃げ出したい感覚、胃がしめつけられる感じ、手をつけたくない気持ち、上司や怒っているかもしれない人に会わずに帰ってしまおうか・止めてしまおうかと迷った時に、「キタキタ!これこれ!今生きてる感じがする」と思えたら、足どりは軽くなる。

そこまで突き抜けなくても、その不安や嫌悪感を自分が大切にすべきものへ近づいている証拠だと思えれば、歩み続ける意味合いも変わってくるんじゃないだろうかと思う。そうやって避けたい・後回しにしたいということに手を触れていく。自分を危険に飛び込ませる事ができれば、これまでとはちょっと違った、それでも自分らしいっちゃらしい位置から世界を見つめる事ができるんだろう。