凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

TVやネット上の批評家に子どもは育てられない

前田敦子のAKB卒業より、三宅久之氏の評論活動引退に衝撃を受けた今日この頃。テレビの報道や、ネットでの政治に対する主張を見ていて、いつもモヤモヤとした気持ちになる。これはなんなんだろう?と考えてみると、「人を育てる姿勢ではない」という所に着地しました。

だれからも責められないオリコウサンしか育てられない人々

テレビやネットでよく見かける政治評論家は政治に対する批判を非常に強く行います。特にバッシングしても良い、という雰囲気があれば徹底的に微塵の隙もなく。一度攻撃の対象になると、その状況でどんなに政治家が頑張ったとしてもポジティブに評価されることはない。自分が「悪いやつ」と決めた対象が頑張ったとしても、「でもアイツは、こんなことをした」と他の過去の事実を引っ張り出すか、こんな裏があるといった情報を鬼の首を取ったように掲げながら攻撃の手を緩めない(その人が死んじゃったりして世論が同情的になると一気に手のひらを返したりするんだけど)。


彼らは「自分は正しい」ということは得意だけれど、人を育てることに向いているようには見えない。彼らからは他人へのコミットを感じない、自分への愛情なら感じるんだけど。


姉が昨年出産して、子育ての話しなど聞いたり、周囲の友人の様子を見ていて思うのは、「そんな批評家は、だれからも批判されないオリコウサンしか育てられないんじゃない?」ということ。国に置き換えてみても、日本の政治家を自分(国民)が育てようとする気概は感じない。すくなくともわんぱくな子ども、人から注意されることもある子どもを褒めるということを彼らはできないであろう。


そういった部分でテレビ出演者の中で姿勢が好きだったのは、三宅久之氏だった。別に僕は彼の政治的思想や評論が正しいかどうかわからないし、自分自身が政策について詳しくもない。けれど、ある対象について、「良いところは良い、悪いところは悪い」とイメージに揺さぶられず自分で見ようとする姿勢、思想を固定化せずその時々を評価しようとする姿勢は非常に勉強になります。

僕も自分が嫌いな人のやることは何でもかんでも悪く思えてしまったり、そんな気持ちの弱い人間だけれど、身に着けていきたい姿勢である。教え方の技術という本の中にも以下のような部分がある。

「褒めて伸ばす」のが良い生徒もいれば、「叱って伸ばす」のが合う生徒もいます。とはいっても、それは「褒める」と「叱る」の比率を6対4にするか、4対6にするかという程度の違いであって、全く褒めないのは論外です。
「分かりやすい教え方」の技術(ブルーバックス)
「分かりやすい教え方」の技術 - 凹レンズ(旧館)

三宅氏のような学ぶべき所のある人がテレビで見れなくなってしまうことは残念だけれど、彼が席を空けることの意味は後輩に活躍の場を譲るという側面もある。自身も憧れるだけでなく、自分への批判を恐れず「悪いことは悪い」そして「良いことは良い」と、今きちんと伝えていく、行動していかなければならない。