凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

過ちを犯しながら寄りそうために、何を話そうか

自分がこうしていたいというコミュニケーションのスローガンについて。


music & me


10代のころは、自分の感覚にそぐわない言葉を使う人が大嫌いだった。うるさく大声で思慮のない人々に辟易していた。自分の中にあるものを、そのままに扱いたいと思っていたから、言葉で自分の心情を吐露するなんてしなかったし、友人にもそれを求めなかった。音楽やらただ寒い帰り道、鮮やかな風景なんかにけっこう助けられていたと思う。
くちなしの丘のこの歌詞はそんな10代の自分が聞いたら凄く感銘を受けるんだろうと、YouTubeを流しながらふと考えた。


【歌詞】原田知世/くちなしの丘

言葉にしたら
すぐに壊れて
きっともう戻らないから

花の向こうに
きみが見えたら
何を話そう

10代の自分から見れば、繊細でスマートな大人にはなれなかった。バタバタと日々におわれたり、打算的で、欲深いし、つまらないことで未だに傷ついたりする。


人との関係を築くこと。コミュニケーションについても、変わってしまったと思う。今はあの頃ほど、ひとの気持ちを慮って控えめに話すことはできていない。


たしかに言葉は、乱暴で、粗野で、大雑把、・・・無神経なものであると思う。けれど、誰かを今よりも理解しようとしたときに、使えるものはその言葉しかない。ありふれたガサツな道具を使って、なんとか歩み寄りたい、分かりたいのだ。


自分でも良く分からない感覚を口に出す。すごくズレる、内面とのギャップが大きい。でも埋める、次の一言、もう一言で埋める。目の前の人の想いを、聞き、確かめて、かみ合わない部分を、少しずつ捉えていく。間違えて間違えて、しっかり掴めた実感はないけれど、前より近づいた気配を感じる。


確実に、人を傷つける機会は増えただろう。ブレないことが良しとされる現代では、僕はダメ人間の部類に入るのかもしれない。


けれど、間違いかもしれない危険性を孕んでいたとしても、それを口に出して確かめたいと思う。今は、1つの間違いがその人のぴたりとくる感覚に近づくための一歩だと思う。1つずつ過ちを犯しながら、それでもその人に近づき、よりそっていけるようになりたいと。もう戻れない ひとこと ひとこと を、放りつづけて。