凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

テレビと、「タブーという呪い」について

地上デジタル放送への完全移行がなされました。日常生活と密接に関わってきたテレビ。これまで感じていたことが、7月24日に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」の議論で非常によく議論されていると思ったので紹介します。

まず、たかじんのそこまで言って委員会とは、

讀賣テレビ放送 (ytv) 大阪本社制作の政治・経済等をテーマにして扱う、討論形式のバラエティー番組である。やしきたかじんの冠番組。通称は「そこまで言って委員会」「委員会」「たかじん委員会」。
そこまで言って委員会NP - Wikipedia

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「今、テレビに思うこと」 宮崎哲弥

この回のそこまで言って委員会では、地デジ完全移行に際してパネラーそれぞれが何を思うかを語っていくというものでした。まず、宮崎哲弥の意見から議論が始まります。

今のテレビ局は「テレビの公共性」をはき違えているのではないか。今のテレビ局は、特に東京のキー局に顕著に表れている状況ですけど、なにか公共性というのをはき違えている所があると思うんです。どこからもクレームが来ないとか、どこからも議論をされない、議論の対象にならないというものが公共性だとメディアが考えるとすると、それは違うだろうと。

一石を投じること、波紋を広げていくことそのものが、長い目で見れば公共性というものに結びつくのではないか。メディア本来の「公共性」というものを追求しなければならないと思います。


たかじん:てっちゃんが言う所の「公共性」とはどんな「公共性」?


宮崎:例えば、お役所的な公共性というのは万人が納得する。悪い言い方をすると「当たり障りのないことをする」ということでしょう。メディアの公共性というのは、役所的な公共性ではなく、むしろ議論を起こしていく、あえてタブーに踏み込むとか、そういうプロセスを通じて公共的な議論の場を提供していくことだろうと思うんですよ。
そういう意味で、そういうクレームがついたりすること、その番組を見て論争が起こることを恐れるようなものだとメディアとしての公共性をまっとうしていることにはならないとおもう。


三宅 久之:簡単に言えばね。タブーを作らないってことを言ってるんだね。
……


田原 総一朗:例えばね今のテレビで、政党から言えば自民党から共産党まで全部脱原発なの。菅さんのバカも脱原発なの。テレビで原発大いにやるべきだというものがないんだ。早い話しが。何でないのか?それは、怖いから。脱原発というのが一番無難なの。……東京電力をはじめ、多くの電気事業連合会が金をいっぱい出しているから悪口を言えなかった。そんなの全くのウソ!具体的に言う。サンデープロジェクトは東電がスポンサーだった。東電がスポンサーになるときに僕は東電と話し合いをした。原発をガンガンやる、東電の批判をやる。そのかわり、(スポンサーを)降りてくれ。東電は「わかりました」「何でもやって問題ない」と。……


勝谷 誠彦:田原さんがエライのは直接言いあったわけじゃないですか。そうすると直接言うと意外と話しが通じるんですよ。


三宅:この番組では、解放同盟やるときは、そこの人を出すんですよね。本人が出たくなかったらその人が推薦する学者かなんかをだす。そういう点では、かならず相手の発言の機会を認めている。そこは良いところだと思う。


田嶋 陽子:東京では、あらかじめ答えを用意してくるんですよ。「この人はこういうことを言うだろう」って最初にアウトラインを作って、それを埋め合わせるためにくるんですよ。この番組のスタッフは違うんですよね。そういう所がなくて、とても柔軟で。こちらに自由に話をさせて、自分たちの思ってたことと違っても、それをきちんと拾い上げていくみたいな。




上記の議論をテレビでみて、「何で自分がそこまで言って委員会を面白いと感じるのか」が腑に落ちたように思います。

タブーという呪いにふれる

最近感じていたことは、タブーというのは人を非常に不自由にするある種の呪いのようなものだということです。

タブー (taboo) とは、もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという形で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である。ポリネシア語tabuが語源。18世紀末にジェームズ・クックが旅行記において、ポリネシアの習俗を紹介する際に用いたことから西洋社会に伝わり、その後世界各地に同様の文化があることから広まった。禁忌という訳語も用いられる。
タブー - Wikipedia

上記の議論を見ても、「最近のテレビは面白くない」と言われる最大の原因は、タブーをつくり、批判から逃げ回っているところなのでしょう。

何かを避けるということは、自分の意思決定や行動範囲を非常に不自由なものに変えるのだと思います。避ける対照は「批判」や「クレーム」、「悪い評価」などさまざまあるのでしょうが。もしも自分が本当に言いたいことが世間一般にみるとタブーの範囲にあり、批判を恐れているのであれば、言いたいことを一生口に出すことはできないんでしょう。

こと「表現する」という行為においては、タブーに触れることは間違いなくポジティブな要素を孕んでいます。どれだけ傷つき、苦しい思いをする可能性があるといっても。それは、自分の発言に自由を与え、ピッタリくる言葉を選ぶ可能性を高めてくれるからです。メディアや表現をする人には、必ずどこかで批判を受け入れる覚悟、批判と共にあるく覚悟が必要なのです。

ブログもひとつのメディアだといわれます。このブログをはじめて、2年半が過ぎました。日和っている部分もあると思うんですが、批判を浴びるような内容だったとしても自分が言いたいことであれば恐れず更新していきたいと思ったのです。