凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

手を触れただけで世界は変わる

自分の中でのライフハックブームは過ぎ去っていたんだけれど、最近歩みを進めるためのぼんやりとしたイメージが見えてきた気がするので、覚え書き。というか、このブログでのライフハックについての考え方の変化もちょっと振り替えって見ようと思います。

魔法の鍵を探して

「こういう考え方をすると上手くいく」 そういう答えが欲しかった。長いことそれを探し続けてきたように思います。たとえば、「成功するための7つの考え方」みたいなライフハック。最近で言えば以下のような記事です。

比較的現在でも影響を受けているのは、金本選手の「覚悟のすすめ」です。

このようなエントリーを見つけては、「これを実践すればきっと俺の人生は変わるはずだ」と読み込み、実践し、うまくいったりいかなかったり、一喜一憂していました。振り返ると数多くの『ライフハック』に自分から進んで振り回されていたのだと思います。

ただ、「その考え方をしさえすれば、成功する」ような、そんな魔法の鍵がどうしても欲しくて欲しくてたまらなかったのです。


GDTやPEP, The Procrastinator's Handbook

ただ、やはり「正解が欲しい」という気持ちは変わりませんでした。私は、ちょっとしたtipsのようなライフハックではなくて、世界的にも使われている仕事術を知れば全てがうまくいくのではないかと考えました。GDTなどの世界的にも有名な仕事術を調べるようになりました。

ひとつ上のGTD ストレスフリーの整理術 実践編 仕事というゲームと人生というビジネスに勝利する方法なぜか、「仕事がうまくいく人」の習慣 4.0いま やろうと思ってたのに… (知恵の森文庫)

これらの仕事術が提案する職場のシステムをデスク周辺で採用し続けていますし、使い続けている方法ものもあります。けれど、どこか空虚なのです。僕が知りたかった絶対的な答えとは違っていました。
それは悔しくて、どこか絶望的なのです。安心してストレス無くバリバリ仕事をこなしていく方法を手に入れたい。それを探しても、いやなことはあるし、ストレスも溜まる、思い描いていることが完全に満たされたような感覚が掴めない。日々を送っていても、仕事をこなしていっても、「何かが足りない」と考えていました。

あきらめ

そんな時みつけた元日本代表 岡田武監督のエントリーは興味深かったです。

魔法の鍵を探し回ることに疲れてしまったし、結局、やるしかない、というところに行き着いていきました。魔法の鍵を探すことは、今とは違う未来に自分の身を置くことなのだと思います。どこかで、見つめるべき「今」から逃げていたのでしょう。とどめを刺してくれたのが、岡本太郎の「自分の中に毒を持て」でした。

 「いまはまだ駄目だけれど、いずれ」と絶対に言わないこと。
 “いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任をもっていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。
 過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。
  (中略)
 人間が一番辛い思いをしているのは、“現在”なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために“いずれ”とか“懐古趣味”になるんだ。
岡本太郎「自分の中に毒を持て」 - 凹レンズ(旧館)

「やるしかなかったのだ」「成功するためには小さな成功を地道に重ねることしかなかったのだ」回りまわって辿り着いたのは、身も蓋もない当たりえのことでした。もうなんだかやりきれない気持ちと、それでも、「もう疲れちゃったしこんなものかな?」という清々とした心持ちになったのです。

触れただけで世界は変わる

結局、必要なものは「どこかにある魔法の鍵」ではなかった。それを見つけるために、歩みを止め、その絶対的アイテムを手に入れて効率的にうまくいく。そんなことは、少なくとも僕には不可能だった。やるべきだったのは、結局のところ、「歩んでいく」ということ。歩き方や、歩く方向、そんなのは問題ではない。こけて擦り傷を作り、立ち上がって、ノロノロしたり、走ってみたり、それでも歩み続ける。それだけだった。


そうして、最近、ひとつの扉を開けるようなものにであった。それは、「ただ触れる」ということの大切さだ。取り掛かるのが億劫だった仕事の書類を手に取りめくってみる、片付けるのが嫌でしょうがなかった食器に、手をつけていなかった勉強のテキストにただ触れページをめくってみる。会うことを避けていた人にただ会ってみる。それだけで不思議なほど、日常の中が動き始めていきます。


良いものにも嫌なものにも、実際に手で触れ、対面してみるだけで、自分が作り上げていたそのモノについてのイメージは劇的に変わっていきます。それは、ストレス・苦痛を感じないとか、得をするとか、効率的だとかそういうことではないのです。日常に自分の実感を伴わせるような作業なのです。無味乾燥した事象に自分の手垢をつけながら触れていく、自分が歩んだという証を刻んでいく。酸いも甘いもきちんと味わうこと。そうすることが日常に彩りを与え、今ここで呼吸をして心臓が鼓動している一人の人生を作っていくのでしょう。苦痛の無い幸せを放棄して、生きている今に触れたとき、日常的だけれどとても特別なものを以前より見つめられるかもしれません。