凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

岡本太郎「自分の中に毒を持て」

太陽の塔、「芸術は爆発だ」という言葉で知られる芸術家 岡本太郎。twitterの岡本太郎botをフォローしたことから彼への興味が沸き、著書「自分の中に毒を持て」を読みました。1ページ読んだだけで、掌が汗でじんわりと滲み、胸をぐぅぅぅっと掴まれたように苦しくなり、「出会ってしまった」という実感に包まれたのです。
若者に読んでほしいとか、もっと早くにこの本に出会いたかったとか、考えたりするんですが、それ以上に「自分を危険にさらす」その覚悟をもらえる本です。

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)

危険な道を選択するということ

この本の中で、繰り返し繰り返し強調されることは、「危険な選択肢を選ぶ」ことです。岡本太郎がどれだけ、愚直なまでにその生き方を貫いてきたか、圧力と熱気をともなって語りかけられます。

 「危険な道をとる」
 いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。死に対面する以外の生はないのだ。

 よく考えてみてほしい。あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。
 そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。(中略)
 ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる。頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら、何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。

 かまわないから、こっちに行ったら駄目だ、と思うほうに賭ける。

上記の文章を読むためだけにこの本を買ったとしても、僕は全く惜しくありません。「迷ったときには、自分にとってマイナスの選択肢、危険な選択肢を選ぶ」という基準を得られただけで、生活は大きく一変します。
意外に思われるかもしれませんが、芸術家である彼が、その理由や具体例を非常にわかりやすく論理立てて説明してくれます。本当にロジカルな文章に驚かされます。

弱さと向き合いながら、それでも突き抜けること

ただ、岡本太郎は無理矢理に、彼の方法を押し付けるわけではありません。日常を平々凡々となぁなぁに暮らしている僕のような人間の心情にも言及しています。どちらかといえば、彼も根底には恐れやだらしなさ、流されてしまう気持ちを持っていることを認めているのです。

みんな自分だけは特別だと思っていることなんだ。「自分は」だらしがない、「自分は」神経質だ、とか。そう思いたいかもしれないが、それは違う。ウヌボレだといってもいい。そんな人間は、がっかりするくらい、この世の中にいっぱいいる。むしろ、ほとんどがそんな人間だと思ったほうがいいかもしれない。

 ぼくは“幸福反対論者”だ。幸福というのは、自分に辛いことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと、安全な状態をいうんだ。(中略)
 たとえ、自分自身の家がうまくいって、家族全員が健康に恵まれて、とても幸せだと思っていても、一軒置いた隣の家では血を流すような苦しみを味わっているかもしれない。(中略)
 ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ。ぼくはその代わりに“歓喜”という言葉を使う。
 危険なこと、辛いこと、つまり死と対面し対決するとき、人間は燃えあがる。それは生きがいであり、そのときわきおこるのがしあわせでなくて“歓喜”なんだ。

読みながら、「心を読まれてしまった?」と動悸を感じるほどです。僕自身の卑しさや鈍感さ、目をそむけて逃げているところを、グッと掴まれて目の前に並べられたような気持ちになりました。こうあるべきという理想像だけでなく、人間が持ち合わせる弱さやずるさをきちんと認識する。地に足がついているのです。
また、彼は「しあわせ」についての違和感を感じたときに、「しあわせ」の意味を再定義するのではなくて、バッサリと切り捨て「歓喜」という言葉を当てはめました。ニュアンスにピッタリとくる言葉を選択する力がハンパではないのです。

 「いまはまだ駄目だけれど、いずれ」と絶対に言わないこと。
 “いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任をもっていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。
 過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。
  (中略)
 人間が一番辛い思いをしているのは、“現在”なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために“いずれ”とか“懐古趣味”になるんだ。

 それは繰り返していうが、日常の空しさから逃げ、はみ出して、とっぴょうしもないことをやる、そんな特殊な行動や出来事などを言うのではない。
 なぜ冒険家は一時的なものだけに身体を張り、永遠に対して挑まない、賭けないのだろう。ぼくの「危険に賭ける」というのは、日常の、まったく瞬間瞬間の生き方なんだ。

厳しい言葉のオンパレードです。けれども、やさしく包み込まれるような気分になるので不思議なものです。

さぁ

僕はこの本を読んでお説教をされているというよりは、場所や年代は違うけれど「一緒に歩いている、一緒に闘ってくれる」という感覚をもらいました。それは手をさし伸べてもらうことではなくて、彼が生き様で語り、そういう事実を見せてくれたからだろうと思います。「無常で理不尽で無目的な世界を覚悟を決めて生きてやろうぜ」と、「俺がまず歩くから、ついて来たければ追ってきてくれ」と。そうやって彼が人生を駆け抜けてくれたことに、ありがたさと不思議な親近感を覚えた一冊でした。
この本が生きるか否か、それはこの瞬間にも存在している選択肢で「どちらを選ぶか」にかかっています。正にこのテキストを読み終えた1秒後の「あなたの」「僕の」決断にかかっているのです。



「さぁ!」