凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

「さよならもいわずに」が見せつけたマンガの可能性

宝島社が発行するマンガのランキング本「このマンガがすごい!」。今回は、2010年のマンガ作品の中で第3位とされた「さよならもいわずに」を取り上げます。今回は、内容的なことには触れません。ただ、この1冊によって私は「主観的な体験を伝達する手段」として、マンガがいかに可能性を秘めたツールであるかを思い知らされました。

さよならもいわずに 上野顕太郎

このマンガについて、夏目房之介は以下のようにレビューしています。

  ウツだった奥さんが突然亡くなって、娘と二人になった漫画家の、圧倒的な悲しみと喪失感を訥々と語った異色作である。考えられた演出、緻密に描かれた絵、 画像の配置、選ばれたセリフや内語・・・・・、重苦しく逃げ場のない主題から一切逃げないという作者の姿勢がひしひしと伝わる。これを描ききらねばならな い、という必死の思いも。
  悲しみや喪失感といったネガティブな主題ばかり追うマンガは、近年とみに読みたくなくなっていた僕だが、この作品は違った。読みたい、というより、ただ引き込まれる。
上野顕太郎『さよならもいわずに』最終回:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ


作者の序文より。

これは、一人の男を突然襲った悲しい出来事と、その後の1年間を描いた物語だ。
残念ながら1年後も彼は絶望の淵にいた。
しかしその後、彼は新たな幸せを見つけ、希望を取り戻してゆくのだが、それはまた別のお話。
そしてこれはまた、苦しく短い生涯を懸命に生きた女の、最後の瞬間をめぐる物語でもある。
(中略)
自分自身も「何故苦しい思いをしてまで描かねばならないのか?」という事実に、執筆を開始してから思い至るような有様だ。
ただそれでも「描かずにはいられなかった」わけだが、ではそれは何故か?
「自分の思いを誰かに知ってもらいたかった」ということに、尽きるのではないだろうか。
辛い目にあった人々は多かれ少なかれ、「誰かに話を聞いてもらいたい」とか、「気持ちを分かってもらいたい」と、思うようだ。
まして自分は表現者だ、これを描かずにいられるだろうか。
いや、あえて俗っぽく言うなら、表現者にとっての「おいしいネタ」を描かぬ手はない。
この作品に思いを籠め、過去は過去として気持ちを整理し、この先の未来を見据えてゆきたい。
この作品の最後にあるのは絶望だ。
だがその先に希望があることを今の私は知っている。

主観的な体験を伝えるツールとしてのマンガ

今回は、「この作品がどう素晴らしいのか?」や「作者は何が言いたかったのか?」といったことを書くつもりはありません。(ただ1点、内容について述べるのであれば、倫理的に批判されそうなことを思いついてしまったり、隠したくなるような感情も描いてくれた作者に敬意を表しているということです。)
ただ、それ以上にこの1冊は、私のマンガというものの認識を大きく変えました。作者の体験が生々しく、というか現実感のない取り留めの無さを含めて、そこにあったもの、失うという事の掴み所の無さなど、それらをそのまま目の前に並べられた感覚を持ちました。とにかく「とてつもない物を読まされた」、これが最初の感想です。

他の媒体との比較

主観的体験を伝える代表的媒体は小説やエッセイなどの文章です。自分が何を考え、何を思い、どう感じたかを言葉で表していきます。しかし、ことばは体験を伝えるには余分な物をそぎ落としすぎてしまう。私たちが体験する、感覚、感情、違和感などは、どこかでおきざりにされてしまいます。
感覚的な部分を表現する手段には音楽や絵画があり、これらは情緒的な部分を非常によくあらわします。ただし、絵や音楽はこんどは私たちの「ことば」を消してしまいます。感覚を表現しようとするあまり、ことばをないがしろにしすぎる。日常で、ことばにこれだけ依存してしまっている僕らには、それを読み解くことはやはり簡単ではない。
では、映画はどうか?これらは上記の要素を合わせ、ことばも情緒も入れ込むことができます。しかし、各事象が特定されすぎてしまいます。決めたスピードでストーリーが流れ、声色、間など確定要素が多くなり、あそびがすくないなってしまうのです。


以前は、「歌や絵で感情を伝える」なんて聞きいても実際は全然ピンと来ませんでした。しかし、「そういった伝達手法もあるのだ」と実感させてくれたのが、この作品です。





読み進める中で、作者が世界を見ているフィルターそのものに触れているような感覚になります。すれ違う全く知らない人の見え方、何気なく聞く電車の音でさえ、気持ちによって変わってしまう様が「そこにある」のです。
自分が目で見たものを信じ、ことばと気持ちの両方を抱えて世界をとらえている僕ら。時間間隔すら一定というわけにはいかない。そんな僕たちに、マンガは「主観を伝達する」という非常に困難な作業に新たな道を開いてくれているのではないでしょうか?他のツールとの優劣ではなく、異なったアプローチで絶妙な位置に存在している。もっと活用されてもいい。いや、マンガでしか表現し得ない主観の伝達作業というものが必ず存在するはずです。

最後に

著者がこれを描く作業の中で見た世界、身体の感覚、頭を駆け巡った言葉の数々。想像だにしないけれど描ききってくれて「ありがとうございます」と言いたい。小説や映画ではなく、マンガとしてこの作品がココに存在してくれるということに感謝。