凹レンズログ

くりかえす生活の雑感。まとまらぬままに。

生と死と人生を、そっと近づけてくれたマンガたち

今回は私の思春期〜青年期のあいだで、人生観・死生観に影響を与えてくれたマンガを紹介します。


マンガと思春期と人生

思春期以降、多くの人がアイデンティティについて悩み、自分、世界、そして生死とどう向き合っていくか試行錯誤していきます。その中で、マンガというのは非常に重要な役割を果たすことの出来るメディアです。
小説に比べて言語能力が発達していなくとも、その絵によって内容を理解することは容易なので、子どもには特に受け入れやすい情報媒体です。さらに、マンガ大国日本では、クオリティの高い作品が非常に多くあります。多くの擬似人生の中を生きることは、自分の生き方に感情をともなって、新たなスタイルを取り込むことを助けてくれます。
私も、今は書評エントリーを書いたりしますが、本当に活字食わず嫌いで、人生の土台の部分はほとんどマンガに教えてもらったといっても過言ではありません。特に、死生観については学ぶところが多かったので、オッサンになった今、自分に影響を与えてくれた作品を、少しまとめてみようと思います。

風の谷のナウシカ

ご存知、風の谷のナウシカです。

ジブリの映画は、全7巻のマンガのうち、最初の2巻ほどで終わっています。その後には、より壮大で、カナリ大きなテーマが描かれています。
「命」そのものが汚れを内包している。人間は、生きているだけで、「害」を与え、他者や人間以外を傷つける存在であるかもしれない。そういった、汚れた部分を認めたうえで、生きていくという選択をする。素晴らしい作品です。

プラネテス

SFマンガです。

何も確証など得られないように感じてしまう、無力感にさいなまれる・・・。そんなときに、プラネテスは、存在ているだけで自分が世界とつながっていて、自分も世界を構成するものの1つであると教えてくれます。目の前の世界を愛する覚悟をくれる作品。

ピンポン

ピンポンです。これは、卓球を題材に松本太陽が描いた、学園熱血スポーツ根性物語です。

自分の才能の限界を知り、卓球から足を洗う佐久間学(通称アクマ)という脇役に私は、強く心を動かされました。どれほど努力をしても自分の望む生き方が叶わない・・・。その姿があまりに残酷で、リアルでした。
思春期から青年期にかけ、現実が徐々に理解できるようになります。その時、誰しもが、夢と現実の狭間に立ち、似通った感情を持つのではないでしょうか?夢やぶれても、もがきにもがいて、最初に望んだものではなかったけれど、大切な自分の立ち位置を見つける。その過程に勇気をもらいます。

ブラックジャックによろしく

5〜8巻のがん医療編は、マンガ史に残る最高傑作だと思います。

40代の主婦辻本良江は、膵臓にがんがあることを告げられ、手術、薬物療法が行われるものの、がんは転移し、ターミナルケアへと移行していきます。一人の人間が癌にかかり死ぬまで・・・生きるとは何か?死とは何か?をありありと、生々しく、突きつけてくれます。
自分が死ぬことを息子へ告白する場面での台詞。

お母さんね・・・・・もうすぐ死ぬの・・・・・・

涙なしでは見ることが出来ません。

寄生獣

最も好きなマンガです。


きれいごとではない部分の「生きる」ということ。自分の人生の中で、それを初めて示してくれたように思います。自分が生きているということは、他の何かを殺していることと同意。他の生命から見れば、当然、恐ろしくいやらしい行為である。それでも、利己的に生きていく。世間の甘くきれいな常識とは違うところで、自分で選択をしていくという生き様が良いです。

七夕の国

アマゾンでの評価は低いですが、すごく好きな作品です。平々凡々と生きることへの恐れを、打ち砕いてくれます。目の前にあるものを、しっかりと見つめること。その簡単だけど、難しい作業の尊さに気付くことが出来ます。

まとめとして

もっと色々と書評を書いていたのですが、それぞれのマンガに愛着がありすぎて、ほとんど割愛しました。
見栄を張らずに言うと、死について考えると、未だに酷い恐怖感を感じることがあります。自分が、死んでしまって・・・そして、消えて・・・無へ帰す・・・?死について見まいとすればするほど、それは、後ろから重くのしかかってきます。必要なのは、恐さも傍らにおきながら死を内包して生きることなのでしょう。
日本のマンガは面白い。本当に面白いと思います。だからこそ、色々な作品を読み、自分ひとりで考えるには勇気が必要な作品にも手が伸びたりします。死と一緒に生きる、難しいその作業を、マンガは、ちょっと手助けしてくれるのではないでしょうか?